11月のニュージーランド旅行では、1995年、高校1年生の時にお世話になったホストペアレンツとの再会を果たすため、クライストチャーチも訪ねました。二人は16年前、高校に入ったばかりの僕を、完全なボランティア、無償で、受け入れてくれたのでした。2000年、2005年に続く訪問です。
もう79歳になった二人。さすがに年齢からの若干の衰えは隠せませんでしたが、健在で、温かく迎えてくれました。張り切って、今回もクライストチャーチ界隈のドライブに連れて行ってくれたことも、心より嬉しかったです。
思えば、僕が彼らから受けた影響は決して少なくありません。高校1年生の時に彼らに出会ったからこそ、海外に眼をぐんと広げることができたし、英語力も飛躍的に伸びました。その後の大学生活、キャリアにおいて、これらがどれだけ重要な意味を持っているかということは、言うまでもありません。
その他にも教わったことを数え上げればキリがないのですが、中でも特に覚えているのが、「心のあり様」です。例えば、あるレストランに食事に行った時に、料理が出てくるのが遅く、僕が「腹減った、遅い!」と不満を漏らしていたところ、「なおき、食事は空腹を満たすためだけにあるわけじゃない。ゆっくりと話をして、一緒にテーブルに着いた人たちが絆を深めるためにもあるのだよ。この店は、私たちが会話を十分に楽しむことができるようなペースで、あえてこのようにサービスしてくれているのじゃないのかな」と窘められました。多くの局面でそのように考えれば、穏やかに心を保つことができるという示唆だったのであろうと思います。今回、その後何度となくこのメッセージを反芻していると伝えたところ、二人はそのような話をしたことは皆目覚えていないようでしたが、優しく微笑んでくれました。その通りだ、と。
今回強く伝えられたことは、「現状に常に不満を持つようにはなってはいけない。世の中には、一つ問題を解決すると、すぐにまた別の些細な問題を見付けてそれを殊更に大きく取り上げるような人がいるけれど、決してそのような人生を送ってはならないよ」というものでした。かくあるようにしなくては。
最後別れ際に「また来るよ」と伝えたところ、「ちゃんと連絡するんだよ、ひょっとしたら私たちはもうここにはいないかもしれないから。もちろん、まだ、そのドアから出て行く準備はできていないけど。私たちももう若くない」と、笑って返されました。今まで会った時にはそんなこと言わなかったのに。無性に寂しさが込み上げてきて、思わず泣きじゃくってしまった。16年前、空港で別れた際にも号泣したな…。
だから僕は、言霊があると信じて、強くここに書きたい。 "Ray, Dot, I'll see you again. Will bring my kids next time."
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